1986年(昭和61年)  サンロード青森
千葉作龍  「車引」

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日時ニックネームコメント

[1]2021/02/24
    11:40:47
林広海 コメントありがとうございます。 車引良いねぶたですね。特に松王丸の面子が品があって良い。 次の年の大石内蔵助と合わせて、まさに歌舞伎の千葉先生の時代ですね。 確か車引の手足の部品は竹浪さんが作ってましたね。 佐藤先生には弟子はいなく、佐藤先生からは直接千葉先生への技術的な面での継承はなかったですが、 佐藤先生がねぶたの本質というか内面的、精神的なものを当時、伝授したかった、理解できると見込んだのは千葉先生だったんでしょうね。それは今も我々に受け継がれていると思ってますよ。 ちなみにこのねぶたは、ねぶたの里に保管されて、数年後にねぶたの里で火をつけて壊しましたね。 RABのねぶた特番で取り上げられています。

日時ニックネームコメント

[2]2021/02/23
    22:50:55
青森ねぶた大好き 林さん、千葉名人の名作「大石蔵内助 誉の討入り」の制作エピソード聞かせてくれてありがとうございました。 私も「大石蔵内助 誉の討入り」は、こうやって作られたんだなとすごく勉強になりました。ここからの本題なのは、サンロード青森最初の田村麿賞作品「車引」千葉名人の作品なんですが、この2人の隈取すごい迫力ありますね。 この年は、確か3代目の佐藤伝蔵名人が、制作途中で倒れたんですよね。そこで千葉名人が「車引」で、俺が田村麻賞を取ると、そうすれば伝蔵名人が喜ぶじゃないかと、このねぶたで、千葉名人は、10年ぶりの田村麻賞を見事にに取ったんですよね。それで、海上運行で、千葉名人が、泣いていたんですよね。この次の日に佐藤伝蔵名人が、お亡くなったんですよね。千葉名人は、今でも伝蔵名人の技をしっかりと受け継いでいると思います。 話がいっぱいあり過ぎてごめんなさい。



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